無事に帰りました。

 無事に帰りました。
 高速バスで新宿から4時間余で郡山駅に着きました。家の屋根瓦は飛び、浴室はひび割れていましたが、ブルーシートやガムテープで応急処置が出来ていました。
 断水も解除されていたため、入浴もできましたが、やはり飲み水食料品・医薬品は不足しているとのことでした。缶詰や水・マスクをかついで行きましたが、とても喜ばれました。
 翌日災害対策本部・避難所や街を見て歩きました。三陸浜通りがあまりに悲惨なため報道されていませんが、道路はあちこちひび割れ、崩れた建物やガラスが割れてベニヤ板で塞いだ窓もずいぶん見ました。
 スタンドに何十台もの車が列を作っている様子はガソリン不足の深刻さを再認識させられました。

 30日は北島区議の紹介で、介護関係の方たちと会いました。
地震当日の惨状や、スタッフが被災しているため、高齢者や障害者のケアが困難を極めている事などを聞きました。
さらに原発のために南相馬や双葉には満足に支援ができない、風評による差別も生まれているとのことでした。

 「ここで生まれて、ここで育って、ここで生きていく私たちに安易に避難なんか出来ない」
「東京の人は電気だけ取って、危険は福島に押しつける」という言葉は心に刺さるものでした。

満足に役立つ仕事はできませんでしたが、現地に行かなければ判らないことが沢山あることは確かです。

いろいろ議論はありますが、医師として、親として、なにより人として、まずこれだけは言いたいと思います。


                    原発反対!」