なつかしの故郷はいずこへ・・

 去る11日に小千谷市に向かいましたが、越後湯沢から六日町までの上越線が不通で、代行バスと車を乗り継いで、いつもの3倍の時間がかかりました。
 故郷の惨状は目を覆うばかりでした。
 夏の風物詩だった堀之内と川口の「やな」は濁流に流され、跡形もなくなっていました。
 因みに「やな」とは、魚野川の流れに生け簀のようにわなを作って下ってくる魚を捕るしかけです。山女や鮎など、小さな子供でも魚を手づかみ出来るので、夏といえば良く行ったものでした。
 ガソリンスタンドやお店も泥に呑まれて、辺りに生臭いにおいが漂っていました。  やっと中越地震から復興しようとしていたときに、大震災と原発事故が襲い、それでも福島の人たちの避難も受け入れて、みんな助け合ってきたのに・・。
 道も田圃も、そして飯山線只見線など福島との連絡網が軒並み寸断されてしまいました。政争に明け暮れる行政の対応は遅く、越後浦佐駅前の「田中角栄像」が虚しくそびえ立っているのみでした。

 さらにハプニングがありました。
 兄弟いとこみんなで久しぶりに揃って出かけました。小千谷の焼き肉屋に入ったのですが、食べ初めて1時間ほどでガスが止まり、肉が焼けなくなりました。店中全部が! 仕方がないので、復旧するまでサラダなどの火を使わないものだけを食べて、呑んでいたのですが、1時間以上たっても回復しないので、あきらめて出てきました。
 10人で飲み食いして、お代はただでした。網に残った生焼けのカルビがうらめしい夜でした。「たまにはこんな事もあるさ(笑)」などと話していたけど、真っ青になって謝って回っていた店長は、その後大丈夫だったかしらん・・などと心配でもありました。